歴史の闇に埋もれた声なき声に耳を傾け、人間の底知れぬ業を紐解く当ブログへようこそ。しらちごです。
日本の歴史において「怨霊」と聞けば、多くの方は平安時代の菅原道真や平将門、あるいは崇徳天皇といった名前を思い浮かべることでしょう。彼らは不遇の死を遂げた後、凄まじい怨念を抱いて都に災厄をもたらしたと語り継がれています。
しかし、怨霊という「システム」の起源をたどっていくと、さらに時代を遡った8世紀の奈良に、一人の悲劇の王の姿が浮かび上がってきます。彼こそが、日本最古級の政治的怨霊として歴史にその名を刻まれた「長屋王(ながやのおおきみ)」です。
彼は決して、国を滅ぼそうとした悪人ではありません。むしろ、誰よりも法と秩序を重んじ、国家を正しく導こうとした極めて優秀なエリート政治家でした。では、なぜ彼は突如として「反逆者」の烙印を押され、家族もろとも死の淵へと追いやられなければならなかったのか。そして、なぜ死後に恐ろしい「怨霊」として都をパニックに陥れることになったのか。
今回は全3回の連載として、歴史の教科書には載っていない「長屋王の変」の深層心理と、そこに隠された人間の残酷なシステムに迫っていきたいと思います。まずは、惨劇の舞台裏で静かに組み上げられていた、権力と嫉妬の構造から俯瞰してみましょう。
【見えない歪み】平城京という巨大な実験場
時代は奈良時代前期。和銅3年(710年)に平城京へと都が移され、日本という国が唐(中国)に倣った「律令国家(法律による中央集権国家)」という新しいシステムを本格的に稼働させ始めた、まさに国家青春の時代です。
そもそも律令制というものは、天皇を頂点とし、法と官僚機構によってシステマチックに国を動かすという、当時としては極めて高度で合理的な設計思想でした。その巨大な設計図を書き上げ、国家の骨格を作り上げた「途方もない天才」がいました。それが藤原不比等(ふじわらのふひと)です。
不比等は自らの娘を天皇の妃とし、天皇家の外戚(母方の親戚)として絶対的な権力を握るという、後世の藤原氏が何百年も使い続ける「権力掌握の完璧なフォーマット」をこの時代に完成させていました。
しかし、養老4年(720年)、この巨大な設計者である不比等が病に倒れ、この世を去ります。
カリスマを失ったばかりの平城京の空には、ぽっかりと「絶対的権力の空白」という名の暗雲が広がりました。この空白を埋めるべく、歴史の必然として玉座の前に進み出たのが、長屋王その人だったのです。
【法と血の矜持】頂点に立つ者の孤独
長屋王は、天武天皇の孫にあたる「皇族の重鎮」です。
不比等の死後、彼は右大臣、そして左大臣へと昇り詰め、実質的な国政のトップに君臨しました。彼の邸宅は平城京の一等地(現在の奈良市、かつてそごう百貨店やイトーヨーカドーがあった巨大な敷地)にあり、約6万平方メートルという広大な敷地で数百人の家政機関を抱える、まさに「もう一つの小さな都」と呼べるほどの栄華を極めていました。
長屋王の強さは、単なる血筋の良さだけではありません。彼自身が極めて深い教養を持ち、漢詩を愛し、政治の実務能力においても他の追随を許さない「完璧なエリート」であったことです。彼は、不比等が残した「律令」というルールを厳格に守り、不当な特権や身内贔屓を許さないクリーンな政治を推し進めました。
「政治とは、法と正義によって行われるべきである」
それは、皇室の血を引く者としての崇高な義務感であり、彼なりの強靭な「矜持(プライド)」でした。
しかし、人間社会というシステムにおいて、「正しすぎる者」は時に最も危険な異物となります。
長屋王は、法と理屈の世界の住人であったがゆえに、自らの足元に忍び寄る「人間のドロドロとした情念」の恐ろしさに気づいていませんでした。彼の厳格な正義は、権力の空白を埋めようと虎視眈々と牙を研いでいた新興勢力にとって、最も目障りで、最も越えがたい「巨大な壁」として立ち塞がっていたのです。
【新興勢力の焦燥】藤原四兄弟の底知れぬ飢餓感
その長屋王の背中を、血走った眼で睨みつけていた者たちがいます。不比等の遺児である「藤原四兄弟(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)」です。
彼らは優秀な官僚であり、父から強大なネットワークを受け継いでいました。しかし、彼らの胸の奥底には、決して満たされることのない強烈な「飢餓感」と「劣等感」が渦巻いていたはずです。
なぜなら、彼らがいかに実力をつけようとも、いかに朝廷で発言力を増そうとも、「天皇の血を引いている(皇族である)」という長屋王の絶対的な正統性の前では、常に「一介の臣下」という立場に甘んじるしかなかったからです。
森村誠一氏のサスペンス小説において、悲劇の引き金となるのは決まって「持たざる者の、持つ者に対する絶対的な疎外感」です。四兄弟にとってのそれは、まさに「血統」という、努力ではどうにもならない残酷な壁でした。
「父が心血を注いで作り上げたこの国のシステムを、なぜ皇族というだけで長屋王が独占しているのか」
「このまま長屋王の正論がまかり通れば、我々藤原氏はやがて政治の中枢から弾き出され、ただの事務屋に転落してしまうのではないか」
この強迫観念に近い焦燥感は、次第に四兄弟の中で共鳴し合い、一つのどす黒い殺意へと変貌していきます。
長屋王を論理(政治)で打ち負かすことは不可能です。彼は正しく、隙がないからです。正当な手段で勝てない絶対的強者をシステムから排除するためには、人間の理性を捨て、暴力と狂気という「禁じ手」を使うしかありませんでした。
神亀6年(729年)2月。
平城京の底冷えする空気の中、彼らはついにパンドラの箱を開けます。歴史が証明している通り、人間が人間を破滅させようとする時、そこには必ず最も卑劣で、反証が不可能な「ラベル」が用意されるのです。
広大な長屋王の邸宅に、静かに、しかし確実に、死の足音が近づいていました。
ある日、朝廷の暗がりで一つの恐ろしい言葉が囁かれます。それは、完璧なエリートの人生をたった一日で地獄へと叩き落とす、呪われた魔法の言葉でした。
――「長屋王が、国家を傾ける『呪詛』を行っている」と。

